ライブラリー

2024年1月16日(火)

思うままに 湯浅宗一

 2011年3月11日金曜日14時46分18.1秒、マグニチュード9.0の東日本大震災が発生しまた。あれから12年。まさに光陰矢の如しです。思い起こせば、地震が起こった時間に京都駅に向かう市バスに乗っていました。いつもなら最終の新幹線で向かうのですが、その日に限っていつもより早く向かっていました。というのは、翌日の理事会資料に関する検討を日臨技事務所で行う予定だったからです。バスの中は静かでは誰も地震の発生の話をしていませんでした。携帯では大地震発生、大津波警報のニュースは文字で出ていましたが、その時はそれ程とは思っていませんでした。

 

 新幹線改札口は大混雑で駅員が「新幹線が止まっています。再開の見込みはありません‼」「払い戻しはこちらの窓口へ‼」と声をからしていました。この様子を見て、地震が起こると電車は大変だなと思う程度の認識しかありませんでした。現在ならスマホで映像を確認して事の重大さがいち早く理解でき、それなりの対応ができたのではないかと思います。 その日は、とにかく何とかして日臨技事務所へという思いだけで、理事会が中止になることは全く考えもしませんでした。東京在住の理事や事務所に様子を伺おうと電話をしましたが、一瞬は繋がるのですがすぐに切れてしまう状態で全く様子が分からない状態でした。新幹線が駄目なら飛行機でと考えて一時空港に向かおうと考えました。そのうち事態の重大さが少しずつ理解でき、新幹線も飛行機も無理なことが分かりました。あきらめて帰宅途中に明日の理事会中止と各理事の安否確認の連絡が届きました。私は在来線には乗っていましたので帰宅も容易でしたが、すでに新幹線、飛行機等それぞれの交通機関を利用して向かっている多くの理事は帰宅までが大変だったと後で聞きました。

 

 帰宅後TVで何度も押し寄せる津波、地震により高層ビルがしなっているのを見るとただただ自然の力の凄まじさを感じました。津波により船、家、車が流されていく様を映像が克明に映し出していました。何度見ても胸が詰まるばかりで、亡くなられた方、行方不明の方々の数が時間の経過とともに増えていくばかりでした。そのうち映像の悲惨さにTVを見るのを止めてラジオだけで情報を得るようになりましたのは神戸での震災時と同じでした。震災に遭われた方全員が一日も早く元の生活に戻れるようにと願うばかりです。

 

 その後も地震、豪雨、洪水等の自然災害が毎年発生していますが、その度に、それに備え、耐えるだけの知識と技術を身につけていることが必要であると感じるようになりました。 このようなことから、我が家では非常食など必要なものがいつでも持ち出しできるようにリュックに詰めて置いています。水や食料品など有効期限のあるものは期限内に使い、その都度補充をするようにしています。しかし、このリュックを準備したものの、持ち出すことのない日が永遠に続くことを願うばかりです。

 

 いざというときに迷うことなく動けるように、事前に、必要な知識を得てその対応方法を準備しておくことの大切さを改めて思っています。