友人が家に遊びに来た時のことです。友人がこう言いました。
「そういえばこの辺、史跡があるんやね。ずっと来てたのに知らんかったわ。」
え?史跡?
聞き返して場所を教えてもらうと、思い当たる場所がありました。
ごくごく平凡な道路沿い、民家やマンションに囲まれた謎の小山。
その面積は広めの一軒家という程度。
そういえばと記憶を辿ると、初めて見た頃は不思議な空き地だなぁと思っていたけれど、次第に見慣れてしまい、もはや不思議に思っていたことさえ忘れる程に景色と化していたのでした。
よく見ると雑草に埋もれて立て看板があり、確かにそこには「史跡」の文字。
「御土居」という、れっきとした国の史跡でした。

左の写真の立て看板は文字が薄くなっており読みにくかったので、別の看板の文章を引用してご紹介します。
御土居は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、京都の都市改造の一環として外敵の来週に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街地を守る堤防として天正一九年(一五九一)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。
台形の土塁と堀(堀の一部は川を利用)からなり、その延長は二二、五キロメートルに及び、東は鴨川、北は鷹ケ峯、西は紙屋川、南は九条あたりに沿って築かれました。土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び、要所にはいわゆる七口を設け、洛外との出入口としました。
鞍馬口,丹波口などの地名はその名残だそうです。
こんな身近に豊臣秀吉の縁があったとは。
ちなみに、近くにある別の御土居は部分的に歩けるところがあります。
これも今まで史跡と知らなかったため、特に有難がることもなく普通に通路として歩いていました。

京都市内には9箇所が国指定史跡として残っているそうなので、皆様の身近な所にもあるかもしれませんね。


